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うなぎパイ誕生秘話

うなぎパイ誕生秘話

予想外の反響に生産はパニック。

昭和36年、ついに「うなぎパイ」は発売されます。
上生菓子30円、ケーキが50円の時代に当初はうなぎパイ1本15円と、かなり高級なお菓子として販売を開始しました。発売まもなく、鉄道弘済会(現・キヨスク)が販売を請け負ってくれることが決定し、予想外の反響に量産体制を導入することに。大急ぎで機械を購入し、人員も増員。御客様のご愛顧に感謝し「品切れだけは出すまい」という決意のもと、従業員一同が一致団結しこれに望みました。以後5年間は東海道新幹線・東名高速道路の開通など高度経済成長と相まって売り上げもまさしく「うなぎのぼり」。昭和41年には製販分離を目的に浜松市神田町に「株式会社うなぎパイ本舗」を設立しました。

勝手な憶測が一人歩きした
キャッチフレーズ「夜のお菓子」。

うなぎパイの代名詞とも言えるキャッチフレーズ「夜のお菓子」。幸一社長の「一家団欒のひとときをうなぎパイで過ごしてほしい」という願いのもと、ご自身で考案されたものです。当時、浜松は高度経済成長期で女性の社会進出が進んだ時代。忙しい家族が揃う夕食のだんらんの時間が大切にされたと言われ、その時間を表す「夜のお菓子」と名付けたのでした。しかし、当時の浜松において夜の繁華街は全国屈指と呼ばれ賑わっていた時代。このキャッチフレーズを目にしたお客様で、精力増強のうなぎと結びつけてあらぬ解釈をしてしまった人も多かったようです。 しかし「うなぎパイ」は実際のところ精力増強の話は別として、うなぎパイ6本分に含まれるビタミンAは、蒲焼100gに含まれるそれに相当し、元気回復、夏バテ対策、視力保持などの効果が期待できると言われ、栄養価の高いお菓子としての一面ももっています。

うなぎパイ

これは医学の道を志したこともある幸一社長が「お菓子はおいしいだけでなく、いろいろな付加価値が必要」と考え、当時まだ食も豊でなかった時代を反映させて意図的に「うなぎパイ」にその思いを託したものです。
また、パッケージに関しても発売当初は浜名湖の水をイメージした青色を基調としたものでしたが、今ひとつウケがよくありませんでした。そこでお客様のあらぬ解釈を逆手にとり「夜のお菓子」のフレーズにふさわしく、当時の栄養ドリンクカラーであった赤と黒と黄色の三色を基調としたものに切り替えたところ、ますます好評を得ることができたそうです。

うなぎパイ

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